「マイ・バック・ページ」

丸の内東映にて。

※ネタバレ注意!!


1971年、東大落城後、完全に下火になっていった学生運動の中、それでも活動を続ける若者達は過激さを増し、社会からの賛同を得られる事はなくなり始めた頃。

革命家となりこの国を変えるという野望ばかりあるものの明確なビジョンなどない学生は「何者」かになりたかった。
そんなめまぐるしい時代の目撃者になるべく若いジャーナリストは、青いながらも突進し、スクープを求めた。

ジャーナリストの沢田(妻夫木聡)は情報提供するという自称革命家、梅山(松山ケンイチ)と接触し、記事を書く。
ベテランの先輩記者は、梅山は「偽物だ」と言うものの、
理由なく彼に惹かれていく沢田。
つじつまの合わない梅山の言葉を疑いながらも
完全に梅山のペースに飲み込まれていく。

嘘だらけで、信憑性のない梅山にうさん臭さを感じるも
遂に、実行に移した梅山。
自衛官を殺害し、その証拠に腕章を奪ってきたそれを沢田は預かってしまう。

梅山とは?
その革命の真意とは。
ジャーナリズムの必要性とは。

説明のつかない同士意識とは。


あの時代は若い学生がみな、ぼんやりする事を恐れるように
拳を振り上げた。
ただ、同じ方向を向いて若者の主張に燃えていた。
それが段々、何に向かって吠えているのか解らなくなってきて
単純に反社会運動となり、収集つかなくなる感じは
やはり若さ故だったのでしょうか。
止められない暴走は、未熟さであり、「大学」という守られた狭い箱の中からの叫びに限界が。
引っ込みつかなくなってからの暴走は決して同調できるものではなくなり、
ただの社会からの孤立、滅亡でしかなかった。

「何者かになりたかった。」
それが何かは解らずに。

若い二人がその時代を生きた証を探していた。
梅山のした事は、思想家としての行為でなく
ただの殺人事件となり、
記事にはできない。
それは、何にもなれなかったという敗北。
その敗北は権力によるものではなく、自滅。
なんと「かっこ悪い」終息。

それが現実なんだろう。
とてもリアル。

こんな中途半端な思想家がこの頃たくさんいたんだろうな。


沢田は最後まで梅山を裏切らなかったが
梅山はいとも簡単に、他者を裏切った。

思い返せば梅山が信じていたものなんて最初から自分だけだった。
そんな男だった。


かつて取材して出会ったフーテンの若者が
焼き鳥屋で家族を持って地道に働いていた。

沢田の最後の涙。
あんなに嫌った「男の涙」。
最後に止まらなくなった涙は、敗北感と青春の残像からか。
確かに信じたはずなのに。

そして挫折。

なんと切ない。
見事なラスト。



松ケンが太ってたり、痩せてたりしてんのが気になった。
あれはよくないな。

何者かと惹き付けといて、結局ただのヘタレっていう腹立たしい役をなんとも自然にこなしただけに、もったいない。


妻夫木は前作「悪人」で素晴らしかったが
今回はなんだかいつも通り風の妻夫木で面白みはなかったんだけど、
そこがハマっててよかったのではないかと。
出版社を辞めた後の、影が薄くなった感じはスゴくぐっときました。

ちょっと出てくる
何気ない心の救世主的マドンナ真子役の忽那汐里の演技を初めて観たけど
すごく良かった。
スクリーンでものすごく栄える娘さんですな。


これまでの山下作品とは少し違った感じだけど
これはこれでまた良いのではないでしょうか。
いつもの山下組なのにこの変化はなんとも頼もしい。
この作品の雰囲気に合わせてきたんでしょう。

民生と真心の唄もいいね。
キレイではないあの声、たまらん。


いい映画でした。

「まほろ駅前多田便利軒」

有楽町スバル座にて。

※完全ネタバレしている。


まほろ駅前で便利屋を営む多田(瑛太)は偶然中学の同級生、行天(松田龍平)と再会し、奇妙な共同生活が始まる。

お互い過去に影を背負いながら、淡々と日々の依頼を受けるも
行天の登場により
便利屋の意味合いに変化が生まれる。
何も考えてなさそうな顔して、依頼人のアフターケアに踏み込む行天。
過去を忘れるように、完全にドロップアウトした生活をしていた多田にも少しの変化が。

人との交わりが増えた事でややこしい事件に巻き込まれるも
二人のコンビネーションが微妙な距離感のまま深まっていく。



依頼人とのふれあいで一歩踏み込んだそれが
汚い風貌でぼんやりひょうひょうと相手の心に入り込んで心を解き放つすご腕の行天には興味が湧くんだが

すみからすみまで豪華キャストなんだが

鈴木杏がまったくかわいくないんだけど、昔の育ちのよいお嬢さん風情がなくなってた感じもなんだか好感度が上がったんだが.......。


子供を愛せない親、自分の子供でもないのに愛してやまない老いた親、
子供を失った親、子供の顔を知らない親、

「親がいない子供、親に無視される子供はどっちがかわいそうかな。」

子供を不注意で死なせてしまった多田。
親からの虐待を受け、子供をつくる事への恐怖を拭いきれない行天。

これらの心の痛みのトラウマを、依頼人とのやりとりで何か少しづつ緩やかなものとし、同士としての繋がりを深めるのだが。

なんだろうねぇ、
ちょいちょい無理があるっていうか。

このかつて「普通」だった若者が、いつからこんなに強くなったんだろう。
ほんもの相手に手出せないでしょ。普通。
かつて「普通」だったって事がなんだか気になるのよね。
「普通」からドロップアウトしたにしても、こないだまで「普通」だったら
麻薬、暴力団、警察、とかって無縁だったでしょうに。
しかも、この麻薬売買してる怖い人達のトップと思われるのが
高良健吾くんだけど、全然まったく怖くない。
(この健吾くんと杏ちゃんってもうすぐ公開映画「軽蔑」の雰囲気だけど関係あるのかしら)
一見、多田と行天が汚くもっさいダメそうな男にしてるんだえおうけど、結局かっこよすぎてなんだかなぁ。


多田の過去も瑛太の迫真の演技で明かされるものの
「昔、こんなつらい事があったんだ」ってワーって話して聞かせて一気にアバかれてるけど
そこはほとんどクライマックスで、
あそこ会話で終わりってのがどうも印象に残らないな。

なんだか結局会話で事の真相が暴かれる所が多い気がする。

しかも、依頼人とかの登場人物のその後がエンドロールでワンカットずつ静止画で出るけど
なんだか超円満なのはなんなんだ。
何故、円満なんだ。
あれ、いるのかしら。
いらないと思う。


大森立嗣作品を観るのは初めてなんですが
この人の映画って大森ファミリーみんな出るもんなのかしら。
なんか不自然な氣がする。


原作は人気あるみたいだけどどうなんでしょう。
音楽はなんだか合ってたけどね、
あの田舎でも都会でもない街の雰囲気とくるりってあうね。

締まりの悪い映画でした。

「冷たい熱帯魚」

ヒューマントラストシネマ有楽町にて。

反抗期の娘、美津子(梶原ひかり)が万引きをして捕まった。

大雨の中、店に駆けつけた父、社本(吹越満)と再婚した若い妻、妙子(神楽坂恵)の前に現れたのが
店側との間に入ってかばってくれて、更にその娘を引き取って住み込みで働いて更生させようと提案してくる大型熱帯魚店の店主、村田(でんでん)。
社本も小さい熱帯魚店を営んでいるので、村田は強引に彼らを誘い、家族ぐるみで交流を持ちかけようとする。

熱帯魚を高値で取引するうさん臭い儲け話に、有無を言わさない巧みな言葉でいとも簡単に人を騙し、お金を受け取ったら、殺す。
そんな事を繰り返す村田から妻と子供をいわば人質に取られている社本には逃げる事が許されなく、
その非道で鬼畜かつ鮮やかなまでの殺人に加担させられる。


前回の「愛のむきだし」が陽ならば今作「冷たい熱帯魚」は陰の園子温だ。
と、何かに書いてあった(ような気がする)が
ここまでいっちゃってるともはやこっちが陽ではないかと思った。

娘の反抗期に何の打つ手もなく、
妻が娘から暴力をうけてても、その妻を救う方法も解らず、
社本という男には家族を守る術がない。

村田は人を殺しては「透明」にする。
殺した人間の形をきっちり無くす。
細かく刻んで
骨を焼いて、肉片は川に流して魚の餌に、
灰は山中に撒く。
そんな風に生きてきた。
自分の足で生きてきたんだと。

何もできない社本に苛立ちを感じながら事件は最悪に進んでいく。
笑って人を殺す村田の異常性に
画面から恐怖や痛みはなく
作業のように「殺人解体」が行われる。

やがて目覚める社本の凶悪な塊は一気に爆発し、
妻と娘にも暴力的な支配を
まるで村田から伝授されてしまったかのように
感情をむき出しにする。

社本の閉鎖感は平均的というかこの国民性と言ってもいいかもしれない。
そんな社本をコントロールするのは実は簡単で
簡単に後戻りできない所まで行ってしまう。

理性も常識も全て意味を失って、
終わりしかみえなくなってしまったその時には
食事もセックスもただ本能で、
そして切ない。


でんでんがほんと全力で
全力で正直で異常が彼の中では恐らく異常ではないんだろうっていう
鬼畜を元気いっぱい演じたでんでんがスゴかった。
うるさいったらなくて、本当に不快。
無害なやさしそうな顔なんだけど
うるささが全力。
素晴しい。


なんとなく上手くやってく為に
気を使ったり、自分を責めたり、ガマンしたり。
それでも上手くいかない。

「生きるって事は痛い事なんだよ」

夫として父親として
結局何もできなかったっていう
哀れさがたまらない。

ただ度重なる残虐なシーンもここまでくると
痛みを感じない。
ただただ哀れだなって。

「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」

有楽町スバル座にて


太平洋戦争で完全劣勢となってもサイパン島を死守するべく僅かに残った日本兵が玉砕総攻撃をかける。
玉砕命令の直後のサイパン島守備隊の自決。
鬼畜米兵という教えを信じて捕虜になるくらいならと自殺する現地に住む民間日本人。

玉砕命令を受けて総攻撃をかける大場栄大尉(竹野内豊)率いる18連隊だったが
兵隊がどんどこ戦死して行く中、
死体のフリをしててでも「生」に執着し、
残された軍人と民間人が生き延びる為に緻密な作戦で米兵への抵抗を続ける。

ほぼ壊滅に追い込みながら何故か最後の締めが打てないアメリカ側にもあせりが。
日本文化に詳しいルイス大尉は
わずか少人数の部隊に翻弄させられている事を知り
大場大尉を「フォックス」と呼び、恐れ、尊敬に値する感情が芽生える。


この戦争の結末は知っての通りだが、
この大場栄という軍人について知る人は少なく
当時サイパン島にいたアメリカ海兵が戦後、彼について書いた本がこの映画の原作だという。



最近あらすじが長いというクレームがきたが、
ここを短くするのって難しいな。
まぁいいか。


実際、そんなに手薄なのかな、捕虜の収容所。
ってくらい簡単に行ったり来たり。
でも、この映画、突っ込み所も以外と忠実らしい。

そしてアメリカサイドがいちいち疑問に思う問い。
「何故、日本人はあんなに死にたがる」
その質問はこっちが聞きたいよ。
おそろしい洗脳だ。

総攻撃をかけるシーンは以外としつこくしっかり描いていたかと思う。
もう無我夢中で、やけっぱちで、いびつでかっこ悪い。
そんなふうに次から次へと兵隊が死んでゆく。
総攻撃に参加出来ない傷ついた兵隊は自決する。
民間人は断崖絶壁から飛び降りて死ぬ。
何が「天皇陛下万歳」だ。

大場大尉の少数部隊と200人くらいの民間人を守る為の
トリックが面白い。
だけど、それもまた人を殺す為のトリックで
守った日本人の数よりも多くのアメリカ人を殺したという事実を
彼自身が自覚している。
戦争に正義も英雄もなかろう。
でも、正義と正義のぶつかり合いだからこそ
争いは無限にでかくなる。
それはいつの時代も同じだな。


戦争映画って画面が暗いけど
たまにはもっと最初からクリアな色があってもいいのになって思う。
現実のこの南の島は
本当はそれはキレイな彩色の島なんだよな。
それでもみんなが殺しあったんだよな。
っていう。

竹野内豊がかなり減量して挑んだって事だけど
痩けた頬にギラギラした目が印象的で凄みを感じられて良かったかと。
山田孝之くんももっとしぼれば良かったのに。
なんか丸い顔が緊迫感に欠ける。
演技はスキな分、余計残念。
軍帽が、永沢くんの体育帽みたいになってましたケド。

全キャスト、スタッフが戦後生まれである
この戦争映画は
日米共同で同等の目線が良かったのではないかと。
勝った国が正義ではなく、
負けた国がかわいそうではなく。

こんな事は愚かなんだ。


映画は映画といいたい所ですが
これは原作となった本を読んでみて完結させたい気持ちです。

「毎日かあさん」

新宿ピカデリーにて。

漫画家のリエコ(小泉今日子)は幼い子供を抱えながら忙しい毎日を送る。
母に同居してもらい手助けしてもらいながら
子供の送り迎えや絵本の読み聞かせやらもドタバタ過ごす。
夫の鴨志田(永瀬正敏)はというと、
戦場カメラマンだった頃の悲惨な経験が元でアルコール依存症となり、吐血を繰り返して入院中。
やんちゃ盛りの息子と口先ばっかりでまるで禁酒の気配がない旦那に振り回されても懸命に、健気に、家族を守る。

やがて家族の為に本気で禁酒を誓うも新たに癌という病気が彼を、家族を襲う。

見捨てる事が出来たら、もっと楽になれたはずなのに。


この話は以前書いた「酔いが醒めたらうちへ帰ろう」の奥さん、西原理恵子側の漫画が原作です。

旦那側からの目線。奥さんからの目線では随分空気感が変わるのは
決して監督、キャストの違いって事ではないと思う。
この「毎日かあさん」は母親としての包む系の愛で満ちている。

かあさんって本当に大変だ。
この生き物には到底かなわんなって思わせるね。
何よりも強い生き物だ。

私的ツボは幼い兄妹がかわいすぎて、
お兄ちゃんが、きちんとお兄ちゃんになっていくっていう成長が
どうにも涙腺を刺激した。
妹の手を握っては離さない、兄ちゃんがたくましくて温かい。

自分にもこんな風に兄と手を握っていた頃があったはずなんだよな。
って思ってしまった。

西原理恵子原作の映画を観るのはこれで3本目ですが
どうにもこの人のはおかしなスイッチ入ってしまう傾向がある。
3本に共通するのがこの幼い子供の健気さと
四国(高知だったり、愛媛だったり)の美しすぎる海。
これはもはやズルい。
泣ける。


この映画の最初に掲げたテーマが
「嘘つき」で
この最大のテーマをこの映画自体がいかしていると思えない。
彼女の漫画のキャラクターはつまりその嘘の一部であったはずではないのかしら。
漫画での嘘の部分と作家としての本当の部分がいまいち曖昧だ。
しかも全てのエピソードの前振りとオチがキチンとしていて
短編漫画のキチッとした起承転結がまんまといちいち組み込まれている。
さらに、アルコール依存症から癌へと病気が切り替わったら追い込みをかけるようにいきなり温度が変わる。
これは何が悪いのかなー。
脚本は原作に気を使いすぎてるのかなって思う。
短編漫画ならいいけど
長編映画ならなんだかしっくりこない。
これではこの若い監督も評価が低いんではないやろか。
ま、私の感想ですけど。


永瀬の迫真の演技も鬼気迫るものがあったし
キョンキョンのオバさんっぷりもよかったし
なによりお兄ちゃんのブサかわいさったら半端ないんだけど

やっぱり別れた夫婦が難しい困難を乗り越えて愛し合った夫婦を演じるってのも
なんだかおかしなものだなーと思ってしまう。

キョンキョンと永瀬の離婚にショックした世代としてはなんだか複雑です。


ちょっと体調不良で観たから
集中力が薄かったような氣がするけど


泣けるんだけど
なんだか微妙かも。(どっちやねん)

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」

早稲田松竹にて。

1960年半ば頃からこの国の若者は
ベトナム戦争反対、日米安保条約反対、成田空港建設反対、大学学費値上げ反対。
色んな事に反対して暴動が絶えなかった。
学生運動と呼ばれて、自分達の哲学に信念を持ち、
彼らは暴力的に国家に戦いを挑んでいた。

なんだかんだで、東大安田講堂落城以後、この運動には陰りが見え初め、
学生が落ち着いてきたかにみえたが
活動をどんどん過激にしていくグループは派閥を統合して
共産主義への理想をかかげ
革命を起こそうと血を流し、国家権力へ立ち向かう。


この映画は、なんていうか
あの時代、事件の再現映像のようで
事実を淡々となぞっている。

淡々となぞってはいるのだが、事実が現実離れした残虐な行為なだけに
この淡々がそのまま恐怖に繋がる。

この事件はあまりにも有名な事件だからある程度の事は分かっていて
さらに親切にナレーションで解説も入る。
事件の事実が細かく分かるのだが
知りたかったのはもう少し人間崩壊の深層心理であって
そこを読み取るのがやや困難で
新しい事実、発見には至らなかったかもしれない。

山岳軍事訓練中の
「総括」という名のリンチ大量殺人のシーンは
あれよあれよと流れにのってさくさく死んで行く。
観ていると段々恐怖心が薄れていく。
こんな簡単に感覚が麻痺してしまう事が
現実におこった洗脳って事なのかも。

森常夫(地曵豪)が一度は革命運動からの逃亡した事への自責の念からか
瞬きもしないで狭い山小屋の中
「総括しろー!!」って叫びまくってるのが
なんだか段々コッケイに見えて哀れでならない。

先日獄中で病死した永田洋子(並木愛枝)も総括総括って
美人を目の敵にして劣等感丸出しである。

総括って一体なんなんだ。
教えてくれよ。森さん。


最後のあさま山荘での決戦は
山荘の中からのみの画でこれは中々の見応えのあるラストです。
機動隊とガチでやりあうのは予算的に無理だったろうけど
山荘の中からだけであの臨場感はよかったと思う。

今回特に光ったのはリンチされ殺される遠山美枝子を演じた坂井真紀。
とても21才には見えないだろって突っ込みだけは無しとして。
ここの死が一番恐怖を感じた。



革命家達の目線で事実を追った映画ですが
若松孝二が、「一方的に権力者側目線で描いた映画」だと反発してこの作品を撮ったと言われている。
その権力側目線の映画が
「突入せよ! あさま山荘事件
この両サイドから描かれた映画を合わせて観ると
事件の事実はかなり解ると思うのでおススメします。


「俺たちには勇気がなかったんだよ」
最後の決戦地、浅間山荘で未成年戦士が叫ぶ。
なんの勇気?
それは後悔?
暴走を止められなかった後悔かもしれないな。


知りたかったのは
こんな風に狂ってしまった理由のようなものなんだけど
きっと理解できない事なんだって事は解った。

それでも知りたいと思わせるのは
それくらい大きな事件だったって事かしら。

「十三人の刺客」

有名な話なんでこれはネタバレ有りかと。

時は江戸時代も後半。
戦から離れて「武士」という地位が何なのか、さほど意味をもたなくなっていた頃の話。
腰に刀をブラさげていても実際にそれを使う事のない時代だった。

将軍の弟で明石藩主、松平斉韶:ナリツグ(稲垣吾郎)の鬼畜なまでの暴君を食い止める為に
家老の男が老中宅前で切腹自害。
そんな命を懸けた訴えは当然、鬼畜斉韶には通じる事もなく
将軍の弟という絶対的な盾に彼はのさばり続け、守られる。

そこで老中はこの国の存亡の為に斉韶暗殺を島田新左衛門(役所広司)に命令を下し、彼の元へ12人の武士が集結し、(途中山で1人拾う)
十三人の刺客が誕生する。

参勤交代の途中に先回りして明石藩一行を待ち伏せして斉韶の首を狙う。
斉韶の側近、鬼頭(市村正親)はその暗殺計画に気付き、
ダメ藩主斉韶を守る武士と
暗殺を実行する武士との決戦が始まる。


豪華すぎるキャスティングとこの伝説の日本映画のリメイクを三池崇史が撮るって聞けばそりゃー興味も湧くってもんです。

オリジナルの素晴しい所はまんま再現した部分と、
現代風というかむしろ三池風にリメイクされた部分とが見事複合されて
素晴しいです。

オリジナルとの最大の違いは刺客のトップ新左衛門が
最後の最後までじっと時を待っておいしい所を持ってくのではなく
最初から仲間達と一緒に斬りまくるって所ではないかしら。

斉韶の残酷すぎる殺傷方法はエゲツないけど
ここもまた三池っぽい。
斉韶はほんと、狂ってたもんね。

最後の大決戦は50分もかけて
緻密にねった準備と仕掛で13人対300人の死闘を繰り広げる。
オリジナルは50人くらいだったけど
まさかの300人越えって、三池さん、中途半端はしない人だよね。
しかもしつこくて、ただでは死なない刺客たち。
このしつこさも三池流って感じ。
実際に人を斬った事のない侍達が、武道ではなく
ただがむしゃらに人を斬る。
どんなに不格好でも、汚くても、
斬って斬って斬りまくる。


ダメな主君の就いたばっかりに、矛盾やら憤りを感じながらも
ただ忠実に斉韶を守らなくてはならない鬼頭の哀れさ。

時代がまた違えば、この鬼畜も活きたかもしれない斉韶がこうなってしまった孤独のようなもの。

山で拾った13人目の小弥太(伊勢谷友介)の侍嫌いの生き方。

武士の生き様、死に際を武士として探し続けてきた
12人。

なんだかどこも窮屈で、自由の選択がここでは極端で
権力と悪で周りを従えるのか
ただ、本能のままに生きるのか
それ以外の、実態にない武士精神の持ち主達は
みえないものを追い続け、
この暗殺計画で、彼らは武士としての威厳を得たのかもしれないけれど

どのタイプをみても
なんだかこの時代の限界が垣間見えて
哀愁が漂う。


役所広司はまぁ、当然安心して観れます。
人間味溢れる上司役が合わないはずがありません。

松方弘樹は、現代劇だとどうしても浮いてしまいがちだけど
ここは圧巻の殺陣を披露してくれててベテランの風格がたまらん。

それと鬼頭役の市村正親のおじさん3人がかっこよすぎて
素晴しい。


鬼畜を演じた稲垣五郎だけど、この人普段から表情がないっていうか目が笑ってない感じがあるから、演技してるって感じじゃないような感じ。
でも、ここをいつも目がいっちゃってる山田孝之くんがやったんじゃ、それはまた違うなって思うから
この鬼畜藩主に稲垣吾郎ってのは、想像以上ハマりだったのではないかと。

山田孝之くん演じる新六郎が戦に出る前に恋人に
「すぐ帰る。帰らなかったお盆になるから」
とかなんとかって感じの言葉を残すけど、
この生きてても死んでても
また会いに来るってのが、彼の強さだったのではないかと。

個人的には
伊原剛の殺陣と
チョイ役の岸田一徳がかなりツボです。


いい映画でした。