「KOTOKO」

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テアトル新宿にて。

ネタバレ注意。


世界がふたつにみえる。
ふたりにみえる。


歌っている時だけ、世界がひとつになった。


未婚で子供を育てるコトコ(cocco)は、その二重の世界に苦しみながら
細すぎるその腕で、最愛の息子、大二郎を育てる。


だけど、上手くできない。
うまく世界をみれない。


生きている意味を確かめるように
腕を切り、生あったかいその流れる血と、再生に向かうその体に問いかける。


「体は生きろ、と、いう。」


やがて幼児虐待の容疑で離ればなれにされる。
守りたかっただけなのに。
恐怖がコトコを襲う。


孤独となったコトコの元に訪れるストーカー風の男、田中(塚本晋也)が究極の愛を注ぎ、コトコと生活を初めて、
世界が一つになった。
調子がいい。

だけど、それも長くは続かない。
息子ともう一度暮らせる事になるも
またバランスを崩したコトコは幻覚に苦しみ、
現実と虚構の狭間に壊れていく。


塚本晋也の新作はcoccoとインタビューとディスカッションを重ねて出来た
共作のオリジナルストーリーだった。


みんながイメージしている通りのcoccoではあるのだが
まさかの演技力で、完全引き込まれました。


天性の表現者なんだと。


子供を守るっていう未だ未経験のそのでかすぎる愛に、
田中の、体を張ってコトコを守るその究極の愛に、
息子の母親にむかう迷いのない愛に、
愛に、愛に、愛に、それでも、まだ愛に溢れた映画だった。


不器用というよりかは完全に病気なわけで
暴力描写は「東京フィスト」を思わせる体に痛みを与えるほどの振り切り感がまたエグくて、その病的さは益々増していく。


これでもかこれでもか。と。


田中は何故、コトコの元を去ったのか。
愛が過ぎたのか。
これもまた虚構だったのか。

いや、愛が過ぎたのだ。
あの、コトコの唄に涙したそれが、答えだったんだ。


守りたいのに守る事が困難になってしまった
今回の地震津波のような災害で、
エキセントリックな母親の映像をみて、
この映画は「今」だったのかも的な話しを監督自身が言っていたけど

私にはコトコと田中の究極のラブストーリーの方に涙が溢れた。


子供の事は正直よく解らないけど
振り返った時にそこにいるという事がお互いを支えているという
あの別れ際に手を振っては、もう一度手を振るという
手を振る人と
見送る人と


そのやり取りが
この映画の幸せなシーンだった。

そこに幸福はあったんだ。


しつこいほどのコトコの唄のシーンは圧巻で
頭蓋骨に響いてビリビリした。


耳を劈くような悲鳴と叫び。
愛をさけんでいた。


さすがです。
素晴らしい映画でした。



日舞台挨拶、まさかの撮影オッケー。
デジカメ持ってってないから携帯で微妙。
くやしい。

「あゝ声なき友」

銀座シネパトスにて。

ネタバレ注意。


昭和19年、
西山民次(渥美清)は招集されて上海に向かう列車の中で体調を崩し病院に搬送される。
そのまま内地送還が決まり、
同じ部隊の仲間達はこっそり家族や恋人へ宛てた手紙を彼に託す。
その後、南方へ向かった部隊は全滅し、敗戦を迎える。


日本に戻った西山は広島で家族を失っていて、
独り東京で闇米を運びながら生きていた。
託された12通の「遺書」を家族へ届ける方法を模索しながら
焼け果てて、住所も目印も曖昧な街を歩いていた。


同じように闇米を運んで、夜は体を売って生きる、山田花子という偽名を使う女(小川真由美)と出会い
同じように孤独の身となった者同士必要とした頃


この近くに住んでいた「島方」という名の戦友の細君がいるはずなんだ。
そこを訪ねてみると。


そこは焼け野原でそこの家族がどうなったかは誰も解らないと言われて家に戻ると
花子の姿がなく、一枚のメモが。

「私の本名は 島方静代 です。」


こんな形で一通の遺書を渡す事になってしまって、二人の穏やかだった生活も終わり
ここから彼の遺書を届ける旅が始まる。


みんなが前を向いて必死で戦後の混乱期を乗り越えようとする中、
定職には着かずに、お金が貯まれば日本中を飛び回った。


内務大臣だった父親は戦犯で巣鴨刑務所にいた後、実家の鹿児島へ。
遺書を手渡し、読み上げた老いた父。


「死ななければいけないのは父さんの方だ。
 僕は父さん達をうらんでいます。」


長崎で弟の帰りを待つ姉(賠償千恵子)の元へ
もしも会う事ができなかったら
毎月1日の12時、博多駅前で待ち合わせしよう。


その約束を守る姉は結婚の話も断って、毎月博多駅で、
もう死んでしまった弟の帰りを待つ。


山口では跡継ぎを失った開業医の父の元へ。

北海道では空襲で精神を壊してしまった妻(吉田日出子)の元へ。

気仙沼では、「日本に帰ったら弟の相談相手になってやってくれ。」と頼まれていた弟(志垣太郎)の元へ。

山形では戦災で逃げてきていた妻(市原悦子)の元へ。


全てを渡す事は出来ず、虚しく手帳に描く大きなバツ印。


そんな中、入院している静代の元から連絡が。
あの時、そっと抜き取って姿を消したまま
まだ、あの遺書を読めないままでいた。


「この遺書が重荷だったわ。
 でも、重荷を背負ったまま死ねないような氣がして。
 読んで下さい。」


読み上げた遺書には妻への愛が溢れていた。



この手紙を渡す事に意味があるのか?
「重荷だったわ。」


その後も、自分のしている事に疑問を抱き出したものの
情報が入れば、また出かけていく。


戦後しばらくたって、
その「遺書」が辛い事を思いだしたり
知らなくていい事を知ってしまったり、
誤解があったり

なにも、なかったり。

戦後8年、みんな戦争を忘れたがっていた。
でも、この遺書の配達を終わらないと、新しい事を始める氣にならないと。

忘れたほうが楽になれる。

何故、こんな事をしているのだろう。
それは

怒り。
怒りだけだ。



寅さん以外の渥美清を観たのは初めてでした。
当然寅さんっぽいんだけど
寅さんではない、重たいものがありました。


この配達の意味は、誰のためでもなく、
こんな苦労や悲しみを、憎しみを、国中の不幸の原点を、
その全ての怒りが原動力となって
遺書の配達人をして終わらない戦争を生きる。


ちょいちょい書いたけど
この他にも
樹木希林長山藍子大滝秀治田中邦衛財津一郎長門裕之 等々
なんとも豪華キャストですごいです。
1972年制作映画だから、若い女優陣のかわいさが半端ない。
小川真由美の演技がステキでした。


終わらない戦争をまだ続けていくという
怒りと闘志とが猛烈に伝わる
圧巻のラストシーン。
あのラストカットは、映画史に残したいくらい素晴しいものではないでしょうか。


「戦争へ行ったものは馬鹿をみたままでいいというのか!」


忘れられない西山も
また、忘れようとする同じ復員仲間も
同じように終わらない戦争がそこにはありました。


いい映画でした。

「聯合艦隊司令長官 山本五十六」

丸の内TOEIにて。

あの悪名高き真珠湾攻撃の奇襲作戦の立案者、山本五十六

どんな事をしても開戦を回避したかった彼が何故、
どんな思いでアメリカに挑んだのか。

そして、覚束ない、あまりにも混沌としたこの国の未来をどう思い、どう描き、
死んでいったのか。

あの戦争は、なんだったのか。


この国の人はだいたい、山本五十六という人が好きではないだろうか。
私も好きです。
そうでないものもあるけど、私が読んだ戦争ものの本で、彼を悪く書いているのをあまり読んだ事がない。

反論、異論あるにしても、
この時代に、この人格はなんとも捨てがたい逸材だったと、私は認識している。
そんな彼が、あの戦争とどう向き合ったのか。
どう進んだのか。
役所広司が貫禄の演技で、また山本五十六ファンを増やすような映画となっている。


彼の軍人らしからぬ柔和な人柄と、
突飛で奇抜な作戦、
先見の明
そして、講和(平和)への願い。

井上成美、米内光政と共に、
完全にトチ狂い出した軍人達をインテリジェンスにかわし
三国同盟に反論するも、
世界中の戦争への流れからもはや山本一人では
開戦を止める事は不可能となった。
客観的に世間を見るべきエリート新聞記者でさえも、この国の開戦推進ムードに一直線。

ならば、せめれ早期講和を。


正直、この映画を観ての新発見は何もない。
若い世代に観せるには少し退屈な感じもするので
これは山本五十六ファンの為の映画という印象である。

実はアメリカへの伝達がなんらかのミスで上手く届かず結果「奇襲」とされてしまった経緯、
優しい人柄、甘いもの好き、将棋好きなんかはもう有名な話だ。

でも、引き込まれるのは多分
このような人を今、求めているからかもしれないと、思う。
正論、正義が届かないこの時代だからこそ、今この人だったんではないか。
情報操作や、エラい奴らの思い上がりは今の時代も進行形だ。

ただ、南雲ら、山本と相容れない側も、それを正義だと信じての行動なのだ。
登場する実在した人物に悪がない描写が素晴しい。
東条英機ら陸軍は具体的に登場しない)


香川照之演じる新聞記者の、開戦大賛成派だったのが
戦況の悪化により、あんなに一直線だった自分の信念(社説)に迷いを感じ、
同僚の出兵にブレる気持ちを隠しきれない。
それこそが、この時代の流れだ。


少々美化しすぎかなとも思うけど
彼が、死んでいった部下を思い、その情報を克明に記し
何よりも講和にこだわった山本の姿が、
真珠湾に突入した無念さと共に死んでいった軍人の姿こそが
時代を築いてしまった主役として、
美化ではなく純粋に希望として受け止めてもいいのかもしれない。

まぁ、私は元々、この人が好きなんで観ていて素晴しいと思うけど
また真逆な意見もあるのでしょう。
ミッドウェー、ガダルカナルの犠牲は無視できないし。

山本は、死して英雄となったものの、
生きて敗戦を迎えていたら彼の戦犯はどうなっていたでしょう。
(海軍はあんまり罪に問われてないにしても)

でも、
彼の死後この国にもたらした損失を考えると、
もしも、彼がもっと生きていたら、
そんな事を願わずにはいられない。


この戦争は終わり方さえ決められていないままどんどん勘違いして拡大してしまった。
その矛盾、無念の声が届かない、そんな恐ろしい時代。
とても恐ろしい時代があったといいう事実。
その事実を知る必要性。



「国は勝っても人は死ぬのよ」

それが全て。

「恋の罪」

テアトル新宿にて。

ネタバレしてます。


1999年、渋谷円山町の廃墟アパートで一体のバラバラ殺人遺体が発見された。
マネキンと合体された真っ二つに割れた性器をえぐられた女性遺体の身元は一体誰なのか。

捜索願いの出ている女性の中から浮かび上がる女性達

人気作家の妻、いずみ。
有名大学の助教授で夜は売春婦の美津子。

この事件を追う
敏腕女刑事の和子。

この3人が織りなす猟奇的で下品なまでにどん欲な性への欲求。
あの遺体は誰なのか。
誰が殺したのか。


園子温作品は私的にはものすごく割れる。
今回はどうも受け付けない方でした。


異常なまでに潔癖な旦那に尽くすも満たされないいずみが一気に目覚める性の快楽。
その性の目覚めをまるで学問のように説き、導く美津子の異常性に恐怖を感じるも、なんというかもはや妖怪である。

執拗なまでの性描写にうんざりするし、
共感とか理解は私にはありませんでした。

なかなか上手くならない神楽坂恵の台詞回しが気になる。
表情は素晴しいのになんか喋ると良くない。
惜しみなく脱ぐのも結構だが、このままでは園子温作品以外には出れないんではないかしら。
結婚までしたからそれはそれでいいのかもしらんけど。


体当たりの演技と絶賛されてる風の富樫真だが
あのガリガリの身体と妖怪人間みたいな化粧が怖すぎてエロさが全くない。
変わり者お化けキャラの売春婦だからいいにしても....。
なんとも変質的な性癖がいっぱいあるものですな。


なんというか、ふーんという感じです。


とにかく変わりものの集まりであり、その変わり者を変わり者と決めつけるにはあまりに危険な現代社会があって
「普通」の顔をしている人達が別の顔を持っていて
その2面性に心の、人生の闇が隠されている。
ので、しょうか。


「言葉なんて覚えるんじゃなかった」
この詩に重みを感じる事ができなかったなぁ。
色々説明してたけど。


水野美紀の裸もふーんという感じです。
最後のゴミ収集車を追いかけて随分遠くまで来てしまったというオチも
いきなり普通で肩すかしだったような。
途中にこのエピソードを挟んじゃってるから最後だってのにもう解ってしまってるってのがどうも残念。

円山町のアパートまで走って
ここがどこか「わからない」
って、なんじゃそりゃ。


どうも集中できないままでした。


本気で走ったんじゃなかろうかという感じはとても好きですが。


新作「ヒミズ」に期待。

「アジアの純真」

新宿K's cinemaにて。

ネタバレはしてないとは思うけど、どうだろう。。。


北朝鮮拉致問題で数人の拉致被害者が帰国したあの2002年の頃。

気の弱い普通の少年(笠井しげ)はカツアゲにあっている所を偶然出会った少女(韓英恵)に助けられる。
そんな少女との出会いに胸をときめかせるもまともにお礼さえ言えない。
名前を訪ねるも
「今度会ったら教えてあげる」


彼女にまた会いたくて少年はあの日別れた場所で彼女を探す。
向こうから歩いてきたあの少女はチマチョゴリの制服を着ていた。


そんな彼女をチンピラが絡んで、朝鮮人だという事を罵倒する。
拉致被害に感心が高まり、北朝鮮が悪であるというただそれだけの情報があふれていた頃で、大抵の日本人が反北感情を抱いていた。
そのもみ合いの中、彼女はナイフを持っていたチンピラに刺されて死んでしまう。


助けてもらったのに助ける事ができなかった。
彼女を助ける事ができなかった。


後悔の念にかられて彼女のお葬式にそっと足を運ぶ。
そこには彼女が彼女の遺影を抱えていた。
その少女は双子だったのだ。


同じ顔をした「在日」の少女は
あの日見て見ぬフリをした全ての「日本人」に
復讐を実行する。

助ける事ができなかった少年は彼女を後ろを歩いていく。


復讐の果てにたどり着く場所はどこだろう。


完全に登場人物の名前を忘れた。
HPにも載ってないのでもう仕方ないって事で。


さて、この映画はどこかの映画祭で上映されたものの「反日」だとたたかれてようやく上映にこぎ着けた問題作なんだとか。

別に問題作ってほどの映画ではなかったような氣がしますが。


監督と脚本家のインタビュー記事は読んでないけど
これってどうゆう意図で作ったのでしょうか。
そこが伝わってこない映画です。

なんだか論点が私にはぶれているように感じてしまって、
もやついたまま映画が進みます。


弱い日本人の少年が、真の通った在日朝鮮人の少女と出会って
少し「世界」を知った。
その「世界」はこの平和な国、日本では何も見えていなくて
それはあまりにも閉鎖された歴史や差別。
マスコミに翻弄され、かたよった情報。
個人が考え、感じるという事が失われてしまっている。


という警鐘だとでもいうのでしょうか。


見て見ぬフリをした日本人を皆殺しにして
それが一体何だっていうのだ。

まったく伝わってこないからどうにも集中できない。
全編モノクロでしたが
その意味も届かない。


この同じ時代に生まれた少年と少女が手を取り合って逃げる。

それは同じに見えるアジアの若者で
でも、あの民族衣装をまとっただけで、恐ろしく分厚い壁ができる。
そんな事があっていいのだろうか。
その二人の間の壁、
この国とあの国との壁が壊されるその希望が
この映画に果たして描かれていただろうか。


冒頭で投げかけた問題がどうも消化していないようだ。
少なくとも私にはわからない。


この映画の上映後、
監督と脚本家、それとゲストに瀬々監督のトークショウがあった。

なにやら、
商業映画と、インディペンデントな映画を撮る時の違いとかをモタモタ喋って
この映画で私が抱いた謎は何も語られなかった。

そんな話は関係者だけでしてくれって思ったけど
映画関係者ばっかりが観ていたのかもしらんな。

つまらないトークショウだった。


最後にこの監督が
「これからもこんな映画を撮っていきたい」
と、締めたけど
「こんな映画」って
どんな映画なんでしょうかね?

なんとも消化不良な映画です。

歴史と現実を呪い、
根本の解決のカケラはそこにはみつけられなかった。
争いの絶えないこの世界で
この若い二人が求めた未来は一体何だったんでしょうか。


朝鮮高校の無償化
そこでの反日教育
なくならい差別
なくならない理由
忘れ去られていく歴史
その歴史の真実


国と国ではなく
人と人の厚み。

傷つくのは末端の人間だ。
国と国が上手くいかなくても
考える事をやめないで、未来に希望を。


そんな映画だったのかどうかは解りませんが
歴史や世界を扱うには少し弱い映画だったように思います。

それと、なんだか色んな映画に似てたような....


ただ、
ただね、
主演の韓英恵ちゃん。
この女優さんは素晴しい。
前からスキな女優さんでしたが、今回マジでドハマりしました。
素晴らしい存在でした。

このコを観る為に映画代を払ったのなら何一つ後悔はない。
そんな女優さん。

かわいー!!!!
しかも、こっそり観にきてて
近くで観たら、マッじでかわいかったデス!!


それと、できれば色を。
この映画はカラーだったら
たぶんもう少し希望が見え隠れしたのではないだろうか。

それはわかりませんが。

「一枚のハガキ」

新宿テアトルにて。

ネタバレ注意。

太平洋戦争で招集された中年兵達。
森川(六平直政)と松山(豊川悦司)は2段ベットの上下に寝ていた仲。
前線に向かう森川は、一枚のハガキを内地に残る松山に託した。
それは妻、友子(大竹しのぶ)から届いたハガキ。
自分が死んだら妻の所へ行って、このハガキを読んだと伝えてほしい。と。

森川の戦死後、森川の弟と再婚して森川の家に残る友子だったが
その弟も結局沖縄で戦死。

貧しい家で、義父母と暮らすも次々に死なれ
電気も水道も通らない家で細々と独り暮らす友子に
村長(大杉蓮)がちょっかいかけるも
友子は冷たくあしらう。

そんな中、
生きて帰れた松山は、家に帰っても嫁が待っていてくれてはいなかった。
父親とできちゃってにげちゃったのだ。

そして忘れていた約束を果たす為に友子を訪ねる。
一枚のハガキを持って。


待っていた妻の所に夫は帰らなかった。
帰った夫の所に待っている妻はいなかった。

皮肉な話だ。
前線に行く者、内地に残る者。
その分岐点が「くじ引き」だったなんて事を残された家族の誰が納得できる。
「運」が悪かった。
そんな事で生死が決まる。
死ぬという事がそれで決まる。

本気で軽くて滑稽。

戦後の混乱の中、平和が訪れたようでも
夫や息子が帰らなくて残された人達は胸に穴を開けたままだった。

囲炉裏をはさんで森川の死に際を話して聞かせる松山。
遺骨さえ帰らなかった友子はその「くじ引き」の事実に驚愕する。


この囲炉裏のシーンがなんとも舞台を観ているようで
俳優二人のガチンコ勝負といった所でしょうか。
見応えがあります。


友子にちょっかいを出す村長は松山の登場が面白くないもんで
いい大人が「表でろや!」ってんでケンカが始まる。
こないだまで生死を懸けた戦争をしていた男達は女の事でしつこいくらいに殴り合う。

戦争が終わったんだな、とこの時に思った。

非人道的ではなく、バカで血の通ったケンカがそんな気持ちにさせた。


あの戦争がもたらせた悲劇から
それでも生き残った人が生き続ける為に
誰かの手を取って生きていく。

焼け果てた家の跡地に広がる黄金色の麦畑。
種を蒔き、水をやり、全てを失ったその後にもまた、生まれる強さが
このラストシーンでしょうか。

進藤監督の新作を観るのはこれが最後でしょう。
って前作で書いたんだけど
まさかもう一本くるとは思いませんでした。
あっぱれです。


戦争体験者の進藤監督がこだわって撮り続けた戦争。
次世代がこれからどんな戦争を描くのか。

この世代以上の何かはきっとないのでしょう。


生きる映画でした。

「奇跡」

有楽町スバル座にて。

ちょっとネタバレ注意

鹿児島で暮らす母(大塚寧々)と兄の航一(前田航基
福岡で暮らす父(オダジョー)と弟の龍之介(前田旺志郎

親の不仲で離れ離れに暮らす兄弟はいつかもう一度家族4人仲良く大阪で暮らす事を夢みて、それぞれの土地で生きる。

それは九州新幹線の開通間近の夏の事。

『上下線「さくら」と「つばめ」のふたつの一番列車が交差する瞬間に願い事を唱えるとそれが叶う。』

そんな噂を聞いた航一は弟を誘い、交差地点熊本で合流する計画をたてる。

少し理屈っぽい性格の兄と天真爛漫な弟。
兄ちゃんは、灰ばかりが降る街で「意味がわからん」と小言を繰り返しながらどうすれば家族がひとつになれるか考えているのに、
なんだかんだ楽しそうに福岡での生活を満喫している弟が面白くない。

だけど大人を巻き込んで願いを叶える為に悪戦苦闘しながら熊本までの旅費を工面して子供達の夏がはじまる。



これはただの九州新幹線開通記念の映画ではない。
是枝監督は子供を撮るのがうまい。さすが。

完全にアドリブで撮ってる子供達のかけあいがしつこくて間延びさえ感じるかもしれないけど
子供達の自然体に涙腺がゆるむ。

一緒に暮らせないからこそ生まれた兄弟の成長が悲しすぎず
まるで陰と陽の兄弟のバランスが夫婦の子供である事を説明しているようである。


みんなが確実に経験してきたあの夏の空気感。
温度や匂いまでもが伝わってきそうな素晴しい映像です。

ちびっこ漫才師の「まえだまえだ」が本当の兄弟だって事はものすごい完成度を上げてるね。
しかもおにいちゃんの演技は素晴らしい。
ずんぐりむっくりでかっこよくはならなそうな子供だけどこの子は漫才より俳優になるといいのに。
弟ものカン高い声がなんだか気にならない。
無邪気にも大人に気をつかってわんぱくに振る舞っている感じがたまらん
悲壮感がないところがまた胸を打つ。


親に気を使って母親に甘えない夜の電話。
夏の夜の背比べ。
たった一泊の旅で出会った大人たち。
ぼんやり気がつく幸せの意味。



熊本まで来て叫んだ願いは
「自分の事」ではなかった。


ちょっぴり大人になった夏。
兄弟がまた一緒に暮らせるかどうかはわかりませんが
離れていても、きちんと親の心が届いているようで、
そして兄弟がきちんと絆を確認できた夏となったようです。


子供達の脇を固めたベテラン俳優達も素晴しい。
先日亡くなった原田芳雄も近所のやかましいじいさん役で出てるけど
鉄オタとしてはこの九州新幹線にからみたかったのかな??
是枝作品常連が多数出てるのもなんだか安心です。


歳をとったせいでしょうか。
動物子供に最近弱いです。

私にもあったあの夏の日々。
刹那すぎます。


エンドロールで流れるくるりの「奇跡」はマッチしすぎで反則です。
最後まで号泣でした。



素晴しい映画でした。
夏がくるたび観たくなる映画となりそうです。